ラマ・マニについてチベットのタンカ(仏画)について物語を説くラマ・マニ・・・文化的な宝。チベットでは伝統的に町や村において秋から冬の間、多くの人々が広い家などに集まり、語り手が伝承する民俗説話を話すのに聞き入るのです。これら語り手たちはラマ・マニとして知られていますが、彼らはしばしば到る所に旅を重ね、チベットのタンカ(仏画)に基づいて物語を説き続けます。聞く人々を面白がらせるだけでなく、それぞれのテーマの伝統的、宗教的な解釈を用いながら、絵が象徴するものとその意味を教えてもいます。これは一般のチベット人が伝統的なチベット仏教徒の正しいあり方、また伝説やチベット仏教の主要な教えも学べる重要な方法になっています。仏陀の誕生の聖なる月の期間ラマ・マニが多くの村で仏と菩薩の物語を語っているのが見られますが、時には村中が物語られるのを聞こうと集まることもよくあります。そしてその語りが人を感動させたり、悲しく胸に迫るような時には皆共に泣き、あるいは機智に富み滑稽な時には笑いあいます。その間村の人々は真言陀羅尼を繰り返し唱えます。それは実に美しいで時であり、ラマ・マニがこの文化的な伝統の中で生き生きとした役割を果たし、村社会に調和と喜びが満ち溢れています。 ラマ・マニの説話を語る技術とその伝承。そしてそのラマ・マニのプチェン・ギュルメ師がネパールのカトマンドゥで、21人の尼僧に7つの異なった説話を教えられました。彼はまた3年前、ダラムサラのドルマ・リン寺とシュンセプ寺で尼僧達に口承説話を教えるために招かれました。彼は2,3週間の間教えられ、また戻ってくることに同意されていましたが、去られてすぐに亡くなられました。死の直前にギュルメ師は、ドルマ・リン寺に彼のさまざまな説話を描いたタンカの全てを寄贈するように託されました。現在ドルマ・リン寺はこれらのタンカをよく受け継いでいます。このようにシュンセプ寺とドルマ・リン寺の尼僧がラマ・マニの説話を語る技術を学んでいます。シュンセプ寺の創建者ロチェン・リンポチェが有名なラマ・マニ師であったので、このような伝統を保存することは理想的なことであるのです。また最も重要なことは、シュンセプ寺とドルマ・リン寺の多くの尼僧が将来教師になるであろうということです。この教授により口承説話の語りの技術は彼女たちのレヴェルの向上をもたらしたことでしょう。チベットにおいて在家の人々はラマ・マニ師から簡明な仏教徒の教え、特に業の法則と菩薩の物語について多くを学びました。それゆえに今回も亡命しているチベットの人々の中に誰か別のラマ・マニ師がいるかどうか探してみようとしました。有名なラマ・マニのプチェン・パサン師の娘であるマニ師のツェリン・ドルマ女史がポンタ・サレブ・チベット居留地にすんでいるということがわかりました。ツェリン・ドルマさんは現在ラマ・マニ師としては活躍していませんが、以前にラマ・マニ師として父のプチェン・パサン師に付いて西チベットの多くの町や村を回っていました。彼女は巧みに美しい調べの歌と詠唱で口承説話を語るそうです。またツェリン・ドルマさんによると、フンスルにパサンさんと言う名の別の年配のラマ・マニの女性がいるということです。 来日予定の女性のラマ・マニ師・ツェリン・ドルマさんの略歴マニ師ツェリン・ドルマ女史は1944年に、チベットのポロンに生まれました。彼女の父のプチェン・パサン師はチベットの南西地方ではよく知られたラマ・マニでした。子供の頃彼女は父について、ティンリ、シェーカル、ニャナン、そしてスルツォのような町や村を巡っていました。彼女は父親から口承説話の語りの技術を学び、10歳にはラマ・マニとして物語を語り始めました。彼女は卓越した語り手となり、父親が中国の占領による制限と迫害のために1960年代にチベットを離れる決断をするまで12年の間ラマ・マニの語りを物語っていたということです。父親はインドでラマ・マニとして彼の職業を続けましたが、亡命チベット人の常としてマニ師ツェリン・ドルマさんは道路の建設現場で最初は労働者として働き、後には織り手として絨緞工場に勤め、現在も商売等で生活せざるを得ない状況です。1989年?に彼女の父のプチェン・パサン師は亡くなりました。マニ師ツェリン・ドルマさんは彼の所有する全てのタンカをプチェン・ギュルメ師と、亡命しているチベット人のコミュニティーの中に口承説話の語りを保存するのを助けるために、同じ地域の別のラマ・マニに譲りました。 長野市・西方寺での記念事業に際して・・・。ツェリン・ドルマさんは現在タンカを何も持っておられません。先のようにそれは彼女の亡くなった父のタンカ(物語の仏画)を全て、プチェン・ギュルメ師に渡してしまったからです。プチェン・ギュルメ師はインドに旅行中そのいくつかを失くしてしまっており、後には所有する新しいものと古いものの両方のタンカを亡くなる前にドルマ・リン尼僧寺院に寄贈してしまいました。今ドルマ・リン寺に2,3のタンカを借りられるように交渉して、ツェリン・ドルマさんが日本に持っていけるように予定しています。その他次のように考えています。 2008年7月追記: 上記の、西方寺の記念事業(2007年9月22日、23日)で実際に行われたパドマ・オェバル伝のあらすじについてはこちらでご覧ください。 |
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